微細な無限

微細の中にもある無限。

サカナクションの、「僕と花」という曲の、冒頭の歌詞についての考察。

僕の目 ひとつあげましょう だからあなたの目をください /「僕と花」サカナクション

 

 いったいどうしてこんなことを言うのか。あなたを好きで、あなたも僕の目が欲しいとうっすらわかっていて?、僕はもちろんあなたの目が欲しくって。それでこんなことを言うのだ、と思うのだ。思うのだが。

 互いにあげあったあとそのそれぞれの目は機能するのか?機能しないのだとしても、するのだとしても、ずいぶん未来はないように思える。「共に生きる」という姿を目標にはしていないのではないか。

 一つずつ目を失くしあうなら、ずいぶんあだなことだ。いたずらなことだ。欲しいってだけで、片目になって世界を生きていかなきゃいけないのは道理に外れている。

 あげあった目が、なんらかの力で元の持ち主の目として機能するならどうか。相手の見るものをすべて自分も見るならば、それはずいぶん窮屈なことになる。すべてのあなたの見るものを僕も見たいのか、あなたも僕の見るものをすべて知るようにしたいというのか。

 そんな状態で、近くにいて、共に生きることはできないとおもうのだ。

 

 あぁ、もし、あなたと僕が、すごく離れているならそう願うこともあるだろう。

 そっか。だからね、きっとこれは、すごく離れているのだ。

 実際の距離がか、概念や気持ちの問題かはわからないが。

 

 もしこの言葉が恋ならば。

 

 

 個人的に、私が、昔に、切なく強く未来無く、これと似たことを思っていたような気がしたんだ。

 必ず叶わないことを、叶うと狭く迷い込むように強く、とらわれるように、思って、思ったそれも頭の中では真実だったこと。