微細な無限

微細の中にもある無限。

春だるだる

 春が来ましたね。

 なんか書こう。

 春はあんまり得意ではない、春の喜びはあるけれど、それは雪解けの喜び、動けるようになる喜び。不自由な子供(車を持たない)の、自転車に乗れる季節がまた来たという喜び、そういう記憶だ。

 本州では少し違う。夏の終わりがむしろ近いのかな、豊かな秋が来て、身体が楽になる時期。

 春はあまり得意ではない、それは年度の代わりがある季節だからだ。変化に晒されて成長や適応やを強いられる。

 学生という身分だったころの長さはまだ私によくよく染みている。

 何が苦手なのかって。花が咲いて気温が変わってゆくことに、自分の内側を覗いて、焦りが興る。温度が上がると反応の速度が上がる。置いて保留しておきたいものが、変わってしまってゆく、自分の準備が何もできていないうちに。

 体が動かないことがどうしたってある。機に乗れない、春の変化はそれをつきつけられる。それを嫌になる。

 

 まぁ、なんての、自分で自分のことを嫌になるということくらいで何かをなげてしまうわけにはいかないのよ。自分で自分のことを嫌になるということくらい、なんていうことじゃないのよ。

 ううん。

 「それでいいよ。」というのは停滞じゃない、停止じゃない。それでいいよ、とすることでそこから先に行ける。