微細な無限

微細の中にもある無限。

愛とは (1)

 

 じゃーん。

 愛とは、とは良いテーマである。一生ものの飴玉であるね。(カンナは考えを転がすことを飴玉によく例える) (2)がいつになるかはわかんないけどまぁいつも考えているので続きはまた必ずそのうち興ると思う。

 

 この夏くらいに、「愛とは尊重である」という一文を思いついた。これはなかなかよい式である、私の物思いの、多くのかたちにわりと矛盾しない一般性があった。しかし、いわば「尊重」、という定数を持ってきたのであって、それがほんとに定数かな?とか、より根源的な定数で記述し直せて式がもっとシンプルにならないかな?(あるいは複雑になってきれいな式じゃなくなってしまうか?)とか、まだまだ飴玉を転がす余地は多いのである。

 尊重:価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。(デジタル大辞林より)

 

 うむ。愛する人や物事を、価値あるものとして大切に扱うこと。よさそうである。よさそうじゃん。ラヴイズ尊重。これで一ヶ月くらい満足していた。

 しかし今日思いついたのだが、対象を尊重するためには、対象をよく知らなくてはならないという要素が必ずくっついてくるのではないかと思い至った。よくよく知って、この身のうちに、その対象をつくり上げるくらいに知ることが、対象を尊重するのには必要なのではないか。

 どうかしら。

 

 なにがどうかしらかっていうと、そうなると、エゴによる誤謬が生まれるという可能性が生じる。ある人物Aの、認識によって身のうちにつくり上げられた対象Bは、対象Bそのものではなく、Aの認識によるバイアスや不足、蛇足などが、かならず生じるわけである。それに基づいて生じるAのBに対する愛を、どう評価したらいいのだろう。

 

 どう評価したらいいのかって困ることはないのか? そっか、なぜそこで困るのか。すなわち、「愛は本当のことである。」これを、前提条件として持っているというか、持っていたいのであるね。私は。

 

 Aの認識によって身のうちに作り上げられたBを、いつでも、謙虚にほんもののBのことをようく見て、謙虚に更新していくことがどうしたって必要であるね。本当の愛に近づくためにはそれが必要で、人間に出来ることはきっとそれまでだ。

 愛は本当のことである、は、イデアだ。

 それでも、一本の式にしたいという夢と、実際はそうではないけれど、モデル・理想系を立てることには意味があると思っている、ということだ。

 

 書きながら考えてしまうのであまり整わない。(1)としてはこのくらいにしておこう。